後の祭り 2011 12 4

 日本は、バブル崩壊後、「失われた10年」、
いや、今では、「失われた20年」と呼ばれますが、
その日本で、よく語られることがあります。
 もはや、「後の祭り」ですが、
それでも、「歴史に『if』があったら」と思うでしょう。
その「if」とは、以下のようなことです。
 バブル崩壊の初期の段階で、つまり1992年に、
当時の宮沢首相が、不良債権問題を一掃するために、
公的資金を10兆円程度投入すべきであると主張したことがあったのです。 
 今から思えば、1992年に10兆円の公的資金投入を断行していれば、
日本は、「失われた10年」にはならなかったでしょう。
そして、日本のバブル崩壊後は、軽傷に終わった可能性があるのです。
 さて、日本と同じ道を歩みつつある欧州も、
欧州版の「失われた10年」、
いや、政治的な決断に、もたつく様子からすると、
欧州版の「失われた20年」の始まりとなるでしょう。

後の祭り 2007 11 25
 今日もまた、日本のバブル崩壊後(失われた10年)について、
話をすることにしましょう。
 今でも、よく言われることは、
バブル崩壊の初期の段階で、つまり1992年に、
当時の宮沢首相が、不良債権問題を一掃するために、
公的資金を10兆円程度投入すべきであると主張したことがあったと思います。
 しかし、この話は、いつの間にか立ち消えになったと思います。
それは、当時、住宅金融専門会社に対する、
7000億円程度の公的資金投入ですら、世論が大騒ぎとなっていたからです。
 当時の雰囲気では、やはり貸手責任論というものが非常に強く、
7000億円程度の公的資金ですら、非難の的になっていたのです。
ましてや、10兆円の公的資金など、口が裂けても言えない雰囲気だったのです。
 今から思えば、1992年に10兆円の公的資金投入を断行していれば、
「失われた10年」にはならなかったでしょう。
そして、日本のバブル崩壊後は、軽傷に終わった可能性があるのです。
 すべては、後の祭りなのです。
あの時、1992年に、公的資金を10兆円程度投入していれば・・・・・。
 どうして、そういうことができなかったのか。
それは、ひとつには、こういうことが原因だと思います。
 知識人ですら、
「政治や社会のことは、よくわかる。
しかし、経済は、わかりにくい。
さらに金融システムとなると、さっぱり、わからない」ということです。
(これは、日本だけでなく、世界各国に共通した現象です)
 知識人ですら、こういう状態ですから、
ましてや、一般大衆に、金融システムの重要性を理解してもらうのは、
極めて困難なものとなります。
 だから、こういう時こそ、政治家の決断が必要です。
官僚では、こういう状況にある時は、立ち往生してしまいます。
政治家の英断が、事態を解決するのです。



































































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